高野山真言宗津東山海心寺画像

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    海心寺の歴史

    開祖・海範(かいはん)和尚が、津屋崎町東町に草堂を建立し、高野山本覚院から弘法大師像を勧請して本尊としました。

    二世・勉(べん)和尚が、奈良・信貴山から毘沙門天を迎えて、旧津屋崎町宮司の飛び地境内に七福毘沙門堂を建立しました。

    宮司の七福毘沙門堂及び金剛閣道場が、現在の「海心寺」の活動拠点となっており、東町の開創当時の本堂は「海心寺・奥の院」と呼称しています。
    境内の様子
    map 金剛閣道場
    七福毘沙門堂(九州八十八ヶ所霊場第86番礼所)
    納骨堂(微雲閣)
    壇信徒会館(三密庵)
    寿老観音像(九州三十三観音第2番札所)
    二世・勉(べん)和尚像
    庫裏 住職の住居
    奥の院(海心寺本堂)
    大正12年に、開祖海範(かいはん)和尚が開創した本堂です。宮司の境内より津屋崎町に向かって、1.2キロのところにあります。こちらでも行事を行っています。
    金剛閣道場 七福毘沙門堂(九州八十八ヶ所霊場第86番礼所)
    山門より境内に入って左手の建物で、現在海心寺の実質的な本堂です。弘法大師を本尊として、向かって右側に金剛歌菩薩、左側に金剛舞菩薩がまつられています。ここでは御法事・葬式だけでなく、講演会・コンサート等も行っています。 宮地嶽神社の参道に面した、入母屋づくりの大きな建物が七福毘沙門堂です。奈良・信貴山から勧請した毘沙門天が本尊です。ここでは主として護摩供や大般若転読による御祈願を奉修しています。
    納骨堂(微雲閣) 檀信徒会館(三密庵)
    平成12年に再築された2階建ての納骨堂。金剛閣に隣接しています。十三仏が各家の納骨檀をお守りするかのごとくお祀りされています。 毎月1日入檀各家の総供養を奉修いたしております。 御詠歌・宗教舞踊、写佛会、その他研修道場として開放されております。また行事の際の食事お接待の場所として、あるいは御法事等の待合室として利用されています。
    寿老観音像(九州三十三観音第2番札所)
    九州北部を中心に、創立された観音霊場です。
    当山はその第2番礼所になっております。
    二世・勉(べん)和尚
    昭和30年(1955)に、奈良・信貴山から、毘沙門天を迎え七福毘沙門堂を建立、更に金剛閣道場を東町奥の院より移築した当寺先代住職の像です。昭和47年3月逝去。7回忌に檀家信徒の方々の強い要望により、銅像が建立されました。
    勉和尚は金剛流々祖曽我部俊雄大和尚の直門の弟子のひとりであり、その一生を金剛流御詠歌に捧げたといっても決して過言ではありません。さらに和尚は敗戦後の混沌とした世相と人心の荒廃を憂い、御詠歌に舞の振り付けを施した「宗教舞踊」の創始者のひとりとして活躍。妻、美津子と共に二人三脚にて宗教舞踊の発展に尽力しました。
    また、その宗教舞踊の地唄として次々に新しい御詠歌を創作。その功績にて御詠歌においては最高位の「詠監(えいかん)」に昇進、宗教舞踊では「綱家(こうけ)」の称号を本山よりいただきました。
     
    ※奥の院(海心寺本堂)
    大正12年に、開祖海範(かいはん)和尚が開創した本堂。宮司の境内より津屋崎町に向かって1.2kmのところにあります。こちらでも行事を行っています。
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    真言宗は、774年讃岐国(現在の香川県)にて誕生された空海上人が、今から約1200年前に入唐求法。長安・青龍寺恵果(けいか)阿闍梨(あじゃり)より真言密教の大法を受法され、御帰朝後、平安初期に立教開宗された宗派です。
    この宇宙のそのものであり、生きとし生けるものの命の根源である「大日如来」が根本本尊とであります。
    その真言は「オン アビラウンケン バザラダドバン」。
    その教えは次のように要約されます。

    ・この身このままで仏になろう…即身成仏
    ・世のため人のためになろう…済世利人
    ・この世に仏の国にしよう…蜜厳国土

    空海上人は835年62歳で高野山奥の院に御入定。921年に醍醐天皇から「弘法大師」の大称号が贈られています。

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